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珈琲香房匠という両親のお店で焙煎修行中です。 父から教えて貰っています。 よろしくお願いします。
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これからコーヒーの焙煎を父から教えて貰います。

まずそれに至った経緯を少し昔話を交えながらまず書いてみたいと思います。

僕は父がコーヒーを焙煎する姿や母がコーヒーを淹れる姿を小さい頃から
ずっと見ていました。
でも小学校の時はうちが喫茶店っていうのが妙にかっこわるく感じていました。
「地味だなぁ」「コーヒーってなんだ」と思っていました。
友達のお父さんが”サラリーマン”だと聞いたときはその響きがかっこ良くて
サラリーマンになりたいと思っていました。(母から聞きました)

でも高校の時、何となくコーヒーの味がわかるようになって、
「自分の家のコーヒーが一番おいしい」と感じました。
そして、両親の働いているときの姿がいきいきしていてすごく楽しそうで、
だんだん僕にもコーヒーに興味が出てきました。

そして大学に入って絵を描いていましたが、将来のことを考えていると、
両親の影響から喫茶店をしたくなりました。
なので大好きな絵も続けられてなおかつ喫茶店を経営するならギャラリーカフェとかがいいなぁと思って、それが夢になりました。

それから親とも将来について話して、まずはコーヒー検定なるものを受けることになり、僕はコーヒーインストラクターの資格を取得しました。
でも焙煎とかコーヒーを入れたりするスキルはまた別のものなので
母からはコーヒーの淹れ方を教えて貰いました。

そして大学3年のゴールデンウィークに一度実家へ帰ったとき、
なぜか父の顔が白くなっていました。
両親は心配を掛けまいと「大丈夫!」といってはいましたが正直そうはみえませんでした。父だけでなく、母も疲れ果てている様に見えました。
今でもそのときの2人の顔は覚えています。急に老けたような感覚でした。

そして実家での滞在も終わり、京都へ帰りました。
しかしその後急に父が倒れてしまいました。
そして入院する事になり、焙煎が出来る人がいなくなったうちのお店はパニックになりました。
全く仕事を知らない僕でもヤバいという感覚はすぐにわかりました。
そして母も腰を痛め、祖母も手術の為入院したりととても大変なことになりました。

僕は配達や掃除くらいしか仕事が出来なかったのですが、週に2日程実家へ帰り手伝いをしていました。
これまでこんなことは無かったし、想像もしていませんでしたが今後の事がとても心配になりました。

半年後ようやく父は手術も終え、帰ってきました。
顔色もだいぶよくなり、すこしずつですが回復していきました。

でもやっぱりいつ最悪の事態が来てもおかしくないこの状況を少しでも和らげる事が出来ないものかと思い、今回はまず父から焙煎を教えて貰うことに決めました。
焙煎はうちの店でもっとも重要な仕事です。これが無ければ商品も作る事ができませんし、仕事をすることも出来ません。

これまでたくさん好きな事をさせてもらってきた両親を次は僕が支える事が出来ればと思います。

焙煎修行頑張ります。


〈釜の写真〉


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