珈琲香房匠という両親のお店で焙煎修行中です。
父から教えて貰っています。
よろしくお願いします。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
焙煎の初日です。
父から教えてもらうのは実は2回目です。
高校の時手伝いをしていると父が教えくれました。
しかし当時はコーヒーインストラクターの資格もなかったので、焙煎機の仕組みなどわかりませんでしたし、コーヒーの種類すら全く知りませんでした。
焼き方の基本はなんとか教えて貰いましたが、始めのガスの栓を開けるところがとてもややこしく、爆発しそうな気がして怖かったのを覚えています。
ガスを付ける作業すらなかなか覚えることが出来なかったので作業すら始める事ができませんでした。
焙煎機がとても怖かったのです。
それは僕が小さい頃、父が大けがをして帰ってきたことがあったからです。
父は腕を焙煎機の釜に付けてしまいドロッと皮が剥がれてしまっていました。
まだその跡が残っているくらいひどい怪我でした。
焙煎機はガスも火も使いますし、煙を分解する為に強い電流も流れています。
小さい頃からそれを知っていた僕は動いている焙煎機に近づくのがとても怖かったのです。
何も知らなければ焙煎機は非常に危険な物です。
とこんなことも思い出しながら、父から焙煎の仕方について教えて貰いました。
まずは作業手順からです。
作業手順や焼き方はお店によって大きく違います。
基本動作はありますが、細かい部分はほとんど違います。
焼き手は味を試行錯誤しながら焼き方を調整し味を調整します。
なので今回僕が父から教えて貰うのは、うちの焼き方です。

これはバンパーと言います。
豆を焼くと煙が出ます。それを排出する量をここで調節します。
これを閉めることで、釜の温度が急激に上昇しますし、開ければゆっくり上昇します。

これは僕が怖がっていたガスの調整です。
右にすごい勢いで火が出ています。とても暑いです。
父は一度爆発でまつげや眉毛が無くなってしまったことがあるそうです。

これは本体の電源です。
上にあるメモリが釜の温度です。
常にこのメモリを見ていなければいけません。

これは煙突です。いろいろと入り組んでいますが、それぞれ役割があります。
僕はいつもこの煙突をばらして中を掃除していました。
すすだらけになります。

これは焙煎中です。
この棒を釜から引っこ抜いてコーヒーの焼き加減を確かめます。
この動作は小さいころから憧れていました。

焼き上がるとこうして外へ出し、豆を冷まします。
豆は焼き上がるとしばらくガスを放出します。
これはそれを逃がす効果も兼ねています。
この瞬間のコーヒーの匂いはとても甘い香りがします。
パチパチという音がかわいいです。

冷まし終わるとここから外へだします。
缶の中へ入れて終了です。
今日はこの一連の動作を教えて貰いました。
焼き加減や温度の調整は難しいので、作業を重ね少しずつ覚えて行きたいと思います。
ありがとうございました。
父から教えてもらうのは実は2回目です。
高校の時手伝いをしていると父が教えくれました。
しかし当時はコーヒーインストラクターの資格もなかったので、焙煎機の仕組みなどわかりませんでしたし、コーヒーの種類すら全く知りませんでした。
焼き方の基本はなんとか教えて貰いましたが、始めのガスの栓を開けるところがとてもややこしく、爆発しそうな気がして怖かったのを覚えています。
ガスを付ける作業すらなかなか覚えることが出来なかったので作業すら始める事ができませんでした。
焙煎機がとても怖かったのです。
それは僕が小さい頃、父が大けがをして帰ってきたことがあったからです。
父は腕を焙煎機の釜に付けてしまいドロッと皮が剥がれてしまっていました。
まだその跡が残っているくらいひどい怪我でした。
焙煎機はガスも火も使いますし、煙を分解する為に強い電流も流れています。
小さい頃からそれを知っていた僕は動いている焙煎機に近づくのがとても怖かったのです。
何も知らなければ焙煎機は非常に危険な物です。
とこんなことも思い出しながら、父から焙煎の仕方について教えて貰いました。
まずは作業手順からです。
作業手順や焼き方はお店によって大きく違います。
基本動作はありますが、細かい部分はほとんど違います。
焼き手は味を試行錯誤しながら焼き方を調整し味を調整します。
なので今回僕が父から教えて貰うのは、うちの焼き方です。
これはバンパーと言います。
豆を焼くと煙が出ます。それを排出する量をここで調節します。
これを閉めることで、釜の温度が急激に上昇しますし、開ければゆっくり上昇します。
これは僕が怖がっていたガスの調整です。
右にすごい勢いで火が出ています。とても暑いです。
父は一度爆発でまつげや眉毛が無くなってしまったことがあるそうです。
これは本体の電源です。
上にあるメモリが釜の温度です。
常にこのメモリを見ていなければいけません。
これは煙突です。いろいろと入り組んでいますが、それぞれ役割があります。
僕はいつもこの煙突をばらして中を掃除していました。
すすだらけになります。
これは焙煎中です。
この棒を釜から引っこ抜いてコーヒーの焼き加減を確かめます。
この動作は小さいころから憧れていました。
焼き上がるとこうして外へ出し、豆を冷まします。
豆は焼き上がるとしばらくガスを放出します。
これはそれを逃がす効果も兼ねています。
この瞬間のコーヒーの匂いはとても甘い香りがします。
パチパチという音がかわいいです。
冷まし終わるとここから外へだします。
缶の中へ入れて終了です。
今日はこの一連の動作を教えて貰いました。
焼き加減や温度の調整は難しいので、作業を重ね少しずつ覚えて行きたいと思います。
ありがとうございました。
PR
これからコーヒーの焙煎を父から教えて貰います。
まずそれに至った経緯を少し昔話を交えながらまず書いてみたいと思います。
僕は父がコーヒーを焙煎する姿や母がコーヒーを淹れる姿を小さい頃から
ずっと見ていました。
でも小学校の時はうちが喫茶店っていうのが妙にかっこわるく感じていました。
「地味だなぁ」「コーヒーってなんだ」と思っていました。
友達のお父さんが”サラリーマン”だと聞いたときはその響きがかっこ良くて
サラリーマンになりたいと思っていました。(母から聞きました)
でも高校の時、何となくコーヒーの味がわかるようになって、
「自分の家のコーヒーが一番おいしい」と感じました。
そして、両親の働いているときの姿がいきいきしていてすごく楽しそうで、
だんだん僕にもコーヒーに興味が出てきました。
そして大学に入って絵を描いていましたが、将来のことを考えていると、
両親の影響から喫茶店をしたくなりました。
なので大好きな絵も続けられてなおかつ喫茶店を経営するならギャラリーカフェとかがいいなぁと思って、それが夢になりました。
それから親とも将来について話して、まずはコーヒー検定なるものを受けることになり、僕はコーヒーインストラクターの資格を取得しました。
でも焙煎とかコーヒーを入れたりするスキルはまた別のものなので
母からはコーヒーの淹れ方を教えて貰いました。
そして大学3年のゴールデンウィークに一度実家へ帰ったとき、
なぜか父の顔が白くなっていました。
両親は心配を掛けまいと「大丈夫!」といってはいましたが正直そうはみえませんでした。父だけでなく、母も疲れ果てている様に見えました。
今でもそのときの2人の顔は覚えています。急に老けたような感覚でした。
そして実家での滞在も終わり、京都へ帰りました。
しかしその後急に父が倒れてしまいました。
そして入院する事になり、焙煎が出来る人がいなくなったうちのお店はパニックになりました。
全く仕事を知らない僕でもヤバいという感覚はすぐにわかりました。
そして母も腰を痛め、祖母も手術の為入院したりととても大変なことになりました。
僕は配達や掃除くらいしか仕事が出来なかったのですが、週に2日程実家へ帰り手伝いをしていました。
これまでこんなことは無かったし、想像もしていませんでしたが今後の事がとても心配になりました。
半年後ようやく父は手術も終え、帰ってきました。
顔色もだいぶよくなり、すこしずつですが回復していきました。
でもやっぱりいつ最悪の事態が来てもおかしくないこの状況を少しでも和らげる事が出来ないものかと思い、今回はまず父から焙煎を教えて貰うことに決めました。
焙煎はうちの店でもっとも重要な仕事です。これが無ければ商品も作る事ができませんし、仕事をすることも出来ません。
これまでたくさん好きな事をさせてもらってきた両親を次は僕が支える事が出来ればと思います。
焙煎修行頑張ります。

〈釜の写真〉
まずそれに至った経緯を少し昔話を交えながらまず書いてみたいと思います。
僕は父がコーヒーを焙煎する姿や母がコーヒーを淹れる姿を小さい頃から
ずっと見ていました。
でも小学校の時はうちが喫茶店っていうのが妙にかっこわるく感じていました。
「地味だなぁ」「コーヒーってなんだ」と思っていました。
友達のお父さんが”サラリーマン”だと聞いたときはその響きがかっこ良くて
サラリーマンになりたいと思っていました。(母から聞きました)
でも高校の時、何となくコーヒーの味がわかるようになって、
「自分の家のコーヒーが一番おいしい」と感じました。
そして、両親の働いているときの姿がいきいきしていてすごく楽しそうで、
だんだん僕にもコーヒーに興味が出てきました。
そして大学に入って絵を描いていましたが、将来のことを考えていると、
両親の影響から喫茶店をしたくなりました。
なので大好きな絵も続けられてなおかつ喫茶店を経営するならギャラリーカフェとかがいいなぁと思って、それが夢になりました。
それから親とも将来について話して、まずはコーヒー検定なるものを受けることになり、僕はコーヒーインストラクターの資格を取得しました。
でも焙煎とかコーヒーを入れたりするスキルはまた別のものなので
母からはコーヒーの淹れ方を教えて貰いました。
そして大学3年のゴールデンウィークに一度実家へ帰ったとき、
なぜか父の顔が白くなっていました。
両親は心配を掛けまいと「大丈夫!」といってはいましたが正直そうはみえませんでした。父だけでなく、母も疲れ果てている様に見えました。
今でもそのときの2人の顔は覚えています。急に老けたような感覚でした。
そして実家での滞在も終わり、京都へ帰りました。
しかしその後急に父が倒れてしまいました。
そして入院する事になり、焙煎が出来る人がいなくなったうちのお店はパニックになりました。
全く仕事を知らない僕でもヤバいという感覚はすぐにわかりました。
そして母も腰を痛め、祖母も手術の為入院したりととても大変なことになりました。
僕は配達や掃除くらいしか仕事が出来なかったのですが、週に2日程実家へ帰り手伝いをしていました。
これまでこんなことは無かったし、想像もしていませんでしたが今後の事がとても心配になりました。
半年後ようやく父は手術も終え、帰ってきました。
顔色もだいぶよくなり、すこしずつですが回復していきました。
でもやっぱりいつ最悪の事態が来てもおかしくないこの状況を少しでも和らげる事が出来ないものかと思い、今回はまず父から焙煎を教えて貰うことに決めました。
焙煎はうちの店でもっとも重要な仕事です。これが無ければ商品も作る事ができませんし、仕事をすることも出来ません。
これまでたくさん好きな事をさせてもらってきた両親を次は僕が支える事が出来ればと思います。
焙煎修行頑張ります。
〈釜の写真〉